2005年12月22日
米国産牛肉の輸入解禁と、真実のありかについて

米国産牛肉が制限つきで輸入解禁になりました。
米国において、安全性の議論をほとんどしないマスコミの態度に、報道規制がしかれている気配を感じているということはすでに書きました。食品業界というものは保守的なもので、この点については日米変わらず、さらに政治が利権で絡んでいる点も同じだろうと思います。

そういうことで、ごり押しする態度を合わせて、米国のやり方に不満を私は持っていました。
もうちょっと安全性について敏感になれよと。

ところが、現在日本にいるのですが、アエラという雑誌が日本の牛肉の安全性も怪しいという記事を掲載していて、読んだら目からうろこが落ちました。
日本は安全だと思っているけど、実はそうでもない。
アメリカの強引さ、不合理さばかりに目が行っていて、日本の安全性についての議論が消えてなくなってしまっている。

例えば、証券取引の不祥事も、当初私は「他人のミスにつけこんで大金を儲けた会社は利益を還元するのが当たり前だろう」と思っていました。
しかし某誌の記事で、フェアな市場というものを維持したいならば返金などするべきではない、という内容を読んで、これまた目からうろこが落ちました。
つまり、私が仮に誤って注文して10万円を損失したとして、注文ミスだから10万円返せ、などとは言えないわけです。
数100億と10万円は違うという論理は、市場というきわめて客観的なシステムの前では機能しません。
僕にとっては、10万円はとても大きな金額です(笑)

例えば、国が莫大な赤字国債を発行して国民に大きな借金をしている。
健全な感情からは、借金はいけない、と思う。私も日本の将来は暗い、と思ってしまう。
ところがマクロ経済のプロには、国民がとりあえず許容しているのだから問題ない、という見方をする人がいるんですね。
つまり、個々人の感情はさておき、実態は日本国民には赤字国債を買う余裕があるわけで、もし余裕がなくなったら買えなくなって国は赤字国債は発行できなくなるだけだけのことだ、というわけです。
利払いに耐えられなくなったら、自然と借金を減らす努力を始める。今がそのターニングポイントかもしれない。
こんな話を聞いて、私はまたまた目からうろこが落ちるわけです。

今感情的に感じていることも、他の視点から見ると滑稽なただの感情論なのかもしれない。

今回のことで私は、物事を見るときには、上から下から、右から左から、そして斜めからも見ないと、その真実や本質は分からないのだということを、あらためて実感しました。
木を見て森を見た気になってしまってはいけません。
自戒を込めて。

鈴木敏仁 (03:32)

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