2009年8月17日
[寄稿] 共通の言語

最近、コミュニケーションの難しさをいろんなところで痛感している。昨今の経営者と株式市場の断絶には、目を覆いたくなるものがある。先般、まったく違う分野の本を読んでいて、共通言語の重要性にはたと気づかされた。

岡田暁生氏の「音楽の聴き方(中公新書)」は、主にクラシック音楽をより深く理解し楽しむための処方箋を示した良書だが、そこでは、音楽の聴き方は基本的には自由であるとしながらも、「音楽は言語(作曲家がそれを通じてなにかを伝えようとしている)なんだから、聞く側がその文法を勉強し、その曲が作られた社会的・歴史的背景を勉強しなければ、本当に意味と楽しみを理解することはできない。」という。

非常に感覚的と思われる音楽の世界でも、曲を正しく理解するためにはその文法と背景を勉強しないといけないのであれば、実業、経営の世界で異なる利害を有する人たちと理解を深めるためには、なおさらそのベースとなる「共通の言語」を習得せねばなるまい。

経営者とアナリストは、本来、企業のあるべき姿をめぐって、もっともピュアに議論を戦わせることができるはずである。なぜなら、その両者間の直接の商売上の金銭(コンサルティングフィーや引受手数料など)が限りなくゼロに近い一方、その企業の将来の収益に多大な関心を持つという点で共通しているからだ。

しかし議論がかみ合わない。

アナリストが経営者をきちんと理解するためには、経営者の話す言葉の文法を習得する努力をしなければならない。経営者の目線は、企業の永続的な発展におかれている。彼らはその目標に向け、多くの書籍を読み、多くの識者と議論を重ね、日々実務上の課題に汗を流している。その経営者がどのような書籍を好み、だれを社外取締役に招聘しているのかなどから、彼らのよってたつ思想の背景を学んだ上で、彼らの発する言葉を聞くと、まったく違った言語に聞こえるのではないだろうか。

実際、有能な経営者は、実に多くの書籍を読み、自ら考え、そして優秀な頭脳(教授やコンサルタント)を自分の近くにおいている。これらが築き上げた「文法」をまったく理解せず、どうして経営者の発する言葉の意味を理解することができるのか。

アナリストの勉強不足が気になって仕方ない。

大五郎

鈴木敏仁 (02:00)
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